地震、緊急事態宣言による休業、豪雨災害…次々と起こる試練
文化庁の「日本遺産」にも選ばれ、「日本でもっとも豊かな隠れ里」と謳われる熊本県・人吉球磨地域。山に囲まれた盆地で、日本三急流の一つ・球磨(くま)川をはじめ、世界に誇る球磨焼酎、大きなアユに球磨牛、美肌の湯で鳴らす人吉温泉など、自然の恵みに満ちている。
「この場所に惚れこんだ創業者・有村春吉が源泉を掘りあてて、一軒の小さな温泉宿『鮎里旅館』をはじめました。それが私たちの原点です」
そう語るのは、球磨川のほとりに建つ「清流山水花 あゆの里」の2代目女将・有村政代さんだ。旅館は創業80年あまり。これまで数々の賞に輝き、2021年には大手旅行サイトの「泊まって良かった宿大賞」九州部門で1位を受賞するなど、高い人気を博している。
しかし、全てが順風満帆だったわけではない。2020年7月、人吉球磨地域では豪雨で球磨川とその支流の堤防が決壊。市街地のほとんどが水に浸かった。100年に一度といわれるほどの大水害だった。
「私たちの宿も、地下と1階が土砂にのまれました。2016年の熊本地震からようやく復興の兆しが見えはじめたと思ったら、2020年春に緊急事態宣言が発令され、約2ヶ月の休業期間を経てやっと営業を再開できた矢先のことでした」
一瞬で階下が水没… 命からがら避難した日の記憶
豪雨災害が発生した7月4日当時、旅館には約100名の宿泊客が滞在していた。
「朝の7時頃、朝食の会場にお客さまをご案内していました。2階から見ると、川沿いのテラスで2人のお客さまがいらっしゃったので、危ないと思って大きな声で『上にあがってください、そこは危ないですよ』と2階に上がってもらった後、堤防が決壊し、水が押し寄せて1階のガラスが割れたのです」
瞬く間に1階は天井際まで泥水に浸かった。水の高さは2.35m。旅館とともに歴史を刻んできた置物や調度品から社用車まで、あらゆるものが押し流された。
有村さんは、宿泊客やスタッフとともに2階へ、さらに4階へと避難を続けていた。「何よりも人命が最優先。お身体の不自由なお客さまはスタッフが背負い、非常階段を上がりました。人への被害がなかったことは本当に幸運だったと思います」と当時を振り返る。
浸水によって館内は停電し断水した。ただ、「万一のために」と2階の調理場に予備のプロパンガスや水を備えていたことが幸いした。冷蔵庫のありったけの食材を調理し、宿泊客に提供した。
保険が支えた再建への道
豪雨災害の発生から一夜明けた7月5日。有村さんは熊本市から4台のバスをチャーターし、宿泊客を送り出した。
「お客さまを乗せたバスを見送って、ホッと一息つきました。でも、あたりを見回せば瓦礫の山。旅館の送迎用のマイクロバスや自動車もすべてが流されていました」
その日の午後、AIG損保で社用車の損害を補償する自動車保険に入っていた有村さんの元に、保険代理店が駆けつけた。翌日、鑑定人も旅館を訪れ、流された車を探して損害調査を実施した。
「調査があった翌日に保険金が口座に振りこまれました。被災から3日後の支払いは本当に助かりましたね。この資金のおかげで96名の社員の雇用を継続でき、施設の復旧に専念できたものですから」
被災後、手元にまとまった資金があるか否かで再建のスピードは大きく変わる。だからこそ「1秒でも早く」と、災害対応にあたるAIG損保の担当者たちは手続きを急ぐ。
AIG損保では、これまで事故や災害と長く向き合ってきた経験から、災害発生の予兆があれば情報収集と被害の予測、災害対応のための事前準備に力を入れる。今回も人吉球磨地域で大雨が降るとの報を受けた時点から、社内では本社と現地の社員との連携を開始。被災する恐れのある地域に所在するお客さまをリストアップし、万一の際にはすぐにでも駆けつけることができるよう準備を整えていた。
「あの混乱の中でもすぐに調査に来てくれて、保険申請の手続きも全部お任せできてスムーズでした。それまではひどく落ちこんでいたのですが、やっと少し安心できたのです。保険の大切さを実感しました」
水害後、有村さんは経営者の仲間や同業の女将たちから「保険、どうしたらいいと思う?」との相談を受けることが増えたという。
「どの保険が必要かはそれぞれですが、とくに今は災害の多いご時世だから必ず検討しておきたいもの。私自身、ちょっとでも困ることがあったらすぐに代理店さんに相談します。リスクコンサルティングのプロがそばにいてくれるので安心ですね」
逆境から進化する人吉 女将が見た希望
壊滅的な打撃から、わずか1年。世間も驚く速さですべての復旧を成し遂げた「あゆの里」は、2021年8月に新たなスタートを切った。
「リピーターの多い宿だったので、まずは元の姿に戻すことが先決だと考え、水害で流されたものを全部作り直しました。これまでのように『ホッとするね』『時間を忘れるね』と言われる宿でありたい。だから今、『どこが浸かったの?』と言ってもらえるのがとてもうれしいのです」
これを進化のチャンスと捉え、かねてから構想のあった温泉付きの客室や見晴らしのいい「天空テラス」も設置。あわせて、サービス導線なども見直した。
「とても辛かったけれど、何もかもなくなったら、逆に未来が見えてきたのです。とにかくやるしかない、かえって楽しみが増えたのだと思って突き進みました。必死で奮闘してくれた社員たちにも感謝の気持ちでいっぱいです」
瓦礫の中でバスを見送った日、有村さんは客室で「ありがとう」「必ずまた来るからね」と記された多くの置き手紙を見た。
「あの時のうれしさは今でも忘れません。全国からのご支援も心の支えになっています。これほどのありがたみは、水害がなければわからないことでした。球磨川にいじめられたけれど、この母なる川をやっぱり愛している。これからも寄り添いながら生きていきます」
被災後は暗闇の夜が長く続いた人吉の町も、今は多くのカフェや食事処が装いも新たに営業を再開し、かつての活気を取り戻しつつある。球磨川を中心とした新たな町づくりのプロジェクトも始まったところだ。
旅館の天空テラスからは、球磨川の清流と人吉の町が一望できる。
「命さえあれば何だってできるから大丈夫。人吉はまだまだよくなります。どうか一緒に見守ってください」