変化のスピードが速く、不確実性が高く、将来予測が困難な「VUCA(ブーカ)の時代」と言われる昨今。世界経済の低迷や高インフレ、政治情勢不安など、多様な不安定要因があふれ、多くの企業は厳しい戦いの舞台に立たされています。スピード感を持った意思決定や動きが必要だと頭では理解していても、既存のビジネスモデルから脱却したいが転換が難しい、新規事業の立ち上げに苦戦しているといった課題を抱える企業も多いのではないでしょうか。

「経営者から学ぶ」対談シリーズは、青山学院大学陸上競技部の原晋監督が、様々なフィールドで活躍する経営者との対談を通じて、日本を革新していく中小企業経営のヒントを探っていく企画です。原監督は箱根駅伝で同陸上競技部を過去6度もの総合優勝へと導くなど、企業経営にも通ずるチームマネジメントのスペシャリストとして、活躍し続けています。

 

第6回は兵庫県神戸市で創業47年となる日本テクノロジーソリューション株式会社(以下、日本テクノロジーソリューション)。主力事業であるパッケージ事業は自社ブランド製品「熱旋風式シュリンク装置TORNADO®(以下、TORNADO)」で知られ、様々な業界の包装分野における問題解決に尽力してきました。このほかにもメディア事業やアライアンス事業など「魅せること」を強みとする複数の事業を展開し、組織として進化を続けています。代表取締役社長 岡田 耕治氏にお話を伺いました。

 

対談ゲスト プロフィール

日本テクノロジーソリューション株式会社 代表取締役社長 岡田 耕治(おかだ・こうじ)氏

1968年、兵庫県高砂市生まれ。甲南大学卒業後、株式会社ビジネスコンサルタントに入社。1999年、日本テクノロジーソリューションに入社し、同年、2代目として代表取締役社長に就任。

先代からたすきを受け取って2年で自社製品開発に成功

青山学院大学陸上競技部長距離ブロック 監督 原 晋氏(以下、原氏)

日本テクノロジーソリューション株式会社 代表取締役社長 岡田 耕治氏(以下、岡田氏)

 

原氏: マラソンや駅伝に挑戦されたことがあると伺って、親近感を覚えています。

 

岡田氏: 7年前になりますが、京都マラソン2016で完走することができました。駅伝は2013年から4年連続で、当社創業の地である兵庫県高砂市(※)の高砂浜風駅伝に会社で参加していました。

※2018年までは本社が高砂市にあり、その後現在の新社屋(神戸市)へと移転。旧高砂本社は現在「高砂工場」に。

 

原氏: 野球やサッカーなど数あるチームスポーツの中で、あえて走る競技を選んだ理由はなんだったのですか?

岡田氏: 特に駅伝でいうと「次の人へとたすきをつないでいく」ことは、経営に通ずるものがあるなあと。社員とたすきをつなぐ経験から、新たに見えてくるものがあるのではと考えていました。

 

原氏: まさに、岡田さんも創業社長であるお父さま(先代)から、たすきを受け取っておられます。二代目社長となった経緯をお聞かせください。

 

岡田氏: 1999年に父・順治が62歳で急逝し、会社を引き継ぐことになりました。大学卒業後はコンサルティング会社に勤めていたのですが、父が急逝し急遽たすきを受け取った形になりました。当時は完全な技術系の会社で、道に迷いそうになりながら歩いていました。

 

原氏: もともとは1976年に岡田電気工業として創業(設立は1981年)しています。代替わり前後の歴史や事業について教えてください。

 

岡田氏: タクシー配車システムや自動巻き寿司機など、多様な業界の問題解決を図る製品を開発・販売していました。今でいう技術系ベンチャー企業に近いかもしれません。ただ、営業力がなかったために販売に苦戦し、大手電機メーカーの下請けへと事業を転換しました。私が引き継いだ際の主な業務は東芝製ブラウン管の検査装置などの設計・製作です。

 

原氏: 昔はブラウン管テレビといえばどこの家にもあって、かなり安定した事業だったと思いますが、2000年前後に液晶やプラズマなどが登場しました。その頃から薄型テレビへの置き換えが進んでいったことは、御社にとって大きな危機だったと思います。

 

岡田氏: 2000年にプラズマ検査装置(電装部分)製造依頼を受け、1機あたり2,000万円で販売するようになりました。しかし、3ヶ月後に来た2号機の製造依頼を見て愕然としました。1機あたり700万円の提示金額になっていたのです。台湾・中国・韓国などの海外生産品に押され、3ヶ月で1/3の金額になる市場で戦ったとしても、当社の未来はないと判断しました。

 

原氏: 過当競争で疲弊するだけですよね。次の転機になったのが、2001年9月、自社ブランド製品「TORNADO」の開発・販売開始ですが、ここに至った経緯を知りたいです。

 

岡田氏: 代替わりした年の秋に参加したベンチャー企業の交流会で、レジェンドのような経営者とお会いしたとき「何か新しいことをやってください」と言われたのです。新代表としてどうしていくべきか迷いを抱えていましたが、その一言のおかげで心が楽になりましたし、「何でもいいから新しい事業を始めよう!」と進む道が見えたことを覚えています。

 

原氏: そのときの決意が、まずはやってみることにつながり、自社ブランド製品誕生のきっかけになっているわけですね。

会議室の壁にはTORNADOでシュリンク包装された各メーカーの容器がずらり

岡田氏: はい。2001年4月、社内の管理職を集めて「経営改造会議」を開き、内需型かつ景気に左右されにくい三品業界(食品・化粧品・医薬品)向けのシュリンク装置(※)の製造・販売に向けて動いていくことにしたのです。

※ 4方向から熱風を吹き出して竜巻のように渦を作るトルネード方式で、どんな特徴を持った容器でも一瞬でシワ・ムラなく360度美しく包装する装置

 

原氏: どんなこともはじめの一歩を踏み出して始まるものですが、えいやと踏み出せる人は決して多くありません。コンサルタント時代、多業界・業種の方々とやりとりされてきたご経験が、新分野へ足を踏み入れる障壁を取り除いたのではと想像しました。

 

岡田氏: おっしゃる通りで、若手の頃から各業界・業種の経営層と幅広い分野のお話をする機会に恵まれていました。トップに立つ人のものの見方、考え方を若いうちから勉強させていただいていたことも大きかったでしょうね。そういった知見があったためか、新分野への挑戦に対する恐怖心はなく、まっすぐな気持ちでプロジェクトを進めていけました。

生き残りをかけ、下請けから「問題解決型企業」への大転換

原氏: ここまでお話を聞いて驚くのは、経営改造会議からわずか半年で事業転換→自社製品開発→販売まで進められたことです。この早さの要因はなんだったのでしょうか。

 

岡田氏: はじめに、社内で共有する価値観を「あなたと同じ視点で問題解決を提供する」と定めました。父の時代から問題解決型のものづくりを志向していましたが、あなた(お客さま)と共にものづくりに取り組んでいこうとの思いを込め、現在もコーポレートサイトのロゴ上に置いています。

 

次に、「半年後(2001年9月)に展示会へ出展しよう」と、ゴールを決めてから走り出したことが最も大きかったと思います。長年下請けとしてやってきた会社ですが、自社ブランドを展開するメーカーへの転身に社員は皆乗り気で、「展示会に出たい?」と聞くと全員が「出たい!」と。社内の機運が高まったのを確信して出展申し込みをして、動き始めたのです。

 

原氏: 先に目標を決めるのは私と同じ発想で、ここでも共通項があってうれしくなりました! 青学の監督に就任したとき「5年後に箱根駅伝に出場する」「10年以内にシード権を獲得する」「10年後には優勝する」と教職員たちの前で宣言したところ、全員、ポカーンです。「箱根駅伝に20数年間出てないチームが10年後に優勝?」と怪訝な顔をされましたが、私は「そうです。優勝します」と。その後はゴールに向けて「今挑戦できる半歩先の目標」を立てて、少しずつ進めていきました。

 

岡田氏: まったく同じですね。会社経営とスポーツ指導には共通項があるのだと思います。

 

原氏: 同感です。その後、開発を始めてからは、順調に進んでいったのですか。

岡田氏: 開発・製造まではうまくいっていました。技術者にとって自社製品を作るのは誇らしいことです。下請けとして他社製品を作るときとは比べ物にならないほどのワクワク感があります。

 

原氏: 初めての自社製品開発だからこそ、高い熱量を持って取り組めるのは分かるのですが、開発開始から数ヶ月で製品化に至ったスピード感にも驚きます。期間内での開発成功の要因はなんだったと思われますか。

 

岡田氏: 「60%主義」で臨んだことでしょうか。60〜70%の完成度で展示会へ出し、残りはお客さまの声をいただきながら、ある種、お客さまと共同開発するように、製品の精度を100〜120%へと高めていけたらと考えていました。あの頃の私たちにとって、先ほど原監督がおっしゃった「はじめの一歩を踏み出す」=「自社製品を世に出すこと」でしたから。

 

原氏: 今のお話を聞いて、フィードバックではなくフィードフォワードの考え方を大事にされているのだなと思いました。前者は過去(後ろ)に関する振り返りで、事後処理といえるのに対し、後者は未来(前)をより良く変えていくための働き掛けですから、事前処理ともいえます。日本人の多くは最初から100%のものを作らなければと思いがちですが、当時の御社のように、真剣に取り組んで60〜70%のものを作って、そこからはフィードフォワードのやり方で改善していく発想を持つといいのにと思います。

 

岡田氏: まさに社員にも同じ話をしました。ただ、想定以上にお客さまからいろいろなお声をいただきましたし、販売開始してみるとなかなか売れなくて、1年ほどはクレームをいただく日々が続きました。不安になった社員から厳しい言葉をかけられることもありましたね。ただ、お客さまにはご迷惑をかけてしまいましたが、その期間にいただいた本音のご意見はありがたく、勉強させていただいたおかげで、その後の製品改善に大きく結びついています。

 

原氏: 1年かけてクレームという財産をいただいたような感覚でしょうか。

 

岡田氏: その通りです。2003年の年明けに、1年間にいただいたお声を全て書き出し、それぞれに対する最良の対応方法を考え抜いた上で、改善を積み重ねていきました。ただ、お客さまのご意見・ご要望通りにするのではなく、それらを参考にしながらも、お客さまに感動いただけるレベルでの全面改良を目指しました。

 

原氏: 下請けにとどまらず、メーカーとしての力をつけていくために、必要不可欠な改善だけでなく、より良いものへとアップデートするための+αの考えをもとに、ものづくりをしていったということですね。私も学生に指導するとき、私の言うことをそのままやるのでは意味がないよ、と言います。指導者に言われたことを自分の頭で考えて、自分なりにアレンジしてやってみて、試行錯誤することに意味があるんだと伝えています。

 

岡田氏: 私も社員に同じようなことを言っています。お客さまの期待を超えるのは、お客さまにとっても私たちにとってもいいことですから。また、二度と下請けはしないという覚悟も大きかったと思います。あのまま事業転換せず、下請けを続けていたら、私たちの生き残る道はなかったでしょう。だからこそ、自分たちのできることをすべてやって、製品の付加価値を高めることに必死でした。

「優れた技術を優れたビジネスに」を掲げ、事業領域を広げ続ける

原氏: ここまで、岡田さんが代表になってから立ち上げ、製品化したパッケージ事業についてお話を伺ってきましたが、その後もメディア事業「ものづくりの挑人たち」(2008年〜)、アライアンス事業の中でも「和魂プロジェクト『酒輪』(以下、酒輪)」(2022年〜)など、多角的な事業を展開されていますよね。私は日本酒が好きなこともあり、特に酒輪が気になっています。日本酒は世界で戦える製品ですから、素晴らしい着眼点だなあと。日本酒に関する事業を始めたきっかけはなんだったのでしょう。

 

岡田氏: ある蔵元さんから「日本酒業界にはガラスの天井がある」といったお話を聞いたんです。業界の構造的な問題があって、突き抜けるのが難しい、ということをおっしゃっているのだと思いました。国内外で注目を集めるスター的存在の酒蔵は少数ありますが、日本酒消費量・酒蔵数共に年々減っていて、業界全体としては縮小傾向にある——その状況が今の日本社会とリンクすると感じたのです。そこでお酒の輪=酒輪を作って、いろいろな業界・業種が関係し合って、より良い製品を世に出していきませんか、という思いで、酒輪をスタートしました。

 

原氏: 旅行ガイドブックの出版社と提携してコラボブランドの日本酒を販売する旨、プレスリリースで拝見しました。いいお酒を作っていて地元で愛されていても、販促活動まで手が回らなくて、全国規模ではなかなか広がっていかない……といった悩みを抱える酒蔵の力になれそうですね。

 

岡田氏: 全国には1,600以上の酒蔵があります。ちなみに、ここ兵庫県は灘地域一帯だけで5つの酒造地があります。灘五郷と呼ばれ、国内生産量の約25%を占めるほど、日本を代表する酒どころでもあるんです。東京の人からすると、そんなイメージはないかもしれませんが。

 

原氏: 確かに、なかったです。

 

岡田氏: 全国各地の酒蔵をお手伝いできればと思っていますが、日本酒の一大産地に本社を構える者として、新しい販売の仕組みを模索していき、世界に発信していきたいと考えています。

 

原氏: そういえば、岡田電気工業から日本テクノロジーソリューションへと社名変更されたのは、今から20年くらい前の2004年でしたよね。その頃からパッケージ事業だけでなく、そこから派生する多様な事業展開をしようとお考えだったのかなと想像しました。

 

岡田氏: はい。ずっと根底にあるのは「優れた技術を優れたビジネスに」というキーコンセプトです。日本には優れた技術やサービスがたくさんありますが、市場に届いておらず、問題解決に至っていないと感じていました。だからこそ私たちは、問題を発見しその解決に挑戦する企業でありたいと。

原氏: 実はこの対談実施が決まったとき、御社が多様な事業をされているものですから、端的に「◯◯の会社」と言い表すのが難しいなと感じていたのです。ただ、コーポレートサイトに目を通しているうちに「社会課題解決会社」という言葉がぱっと出てきました。個々の業界・業種、会社が抱える問題意識、それも社会課題とも絡む事柄を解決する事業をしている会社なのかと腑に落ちたのです。

 

岡田氏: ありがとうございます。そんな組織であろうとしています。

 

原氏: 多様でユニークな事業をしながら、新たなチャレンジも果敢にされる中で、社内の雰囲気はどんな感じですか。

 

岡田氏: 社員にとっては未知の経験もあるでしょうが、前向きに取り組もうとする傾向は強いです。ただ、事業ですから結果を出していかなくてはいけません。組織づくりには課題があり、私も本気で動いていかなければと思っているところですし、この後、原監督にご見解を伺っていきたいです。

 

「持続可能」な会社であるために、下請けからメーカーへと変化し、その後も進化を止めない日本テクノロジーソリューション株式会社。後編では同社の組織づくりに迫ります。社員一人ひとりの個性を生かし、常にチャレンジする個人・組織であり続けるために実践していることとは——。後編もぜひご一読ください。

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